俳優 三浦浩一さん来店

昨夜、俳優の三浦浩一さんが来店されました。

平幹二郎さん主幹の「幹の会」による「冬のライオン」盛岡公演に出演後、おそらく打ち上げが終わったあとにいらっしゃったのだと思います。
顔は見知っていますが、少しお話をしてお名前を聞いてはたと気づきました。
まったく失礼な話ですが芸能人が訪れるなどと思いもしませんので(笑)

店の看板にある「Jazz」の文字に惹かれて入って来たそうです。
「ジャズと言ってもちょっと変わったジャズですが」とジプシースウィングジャズの説明をひとしきり。
話しながらジプシージャズを聴かせ、一周年記念のライブ音源を聴かせたところ、
いたく気に入っていただき「広めて下さい!」と激励されました。
彼は大変気さくで閉店近くまで話し込みました。

演劇、映画、自然、社会・・・様々な話題に花が咲き時間の経つのを忘れました。
役者であること、芸能人であることを除いても話をしたい人間でしたね。

彼の経歴をご存じない方のために少し説明いたします。
1953年、鹿児島県生まれ。父が転勤族のため、その後、東京、岐阜、名古屋など転々とする。
若い頃から役者志望で日大芸術学部に入学。
在学中に「東京キッドブラザーズ」に参加。
1978年にテレビドラマ「大都会」に出演。
1979年、NHK「風神の門」の霧隠才蔵役でメジャーデビュー。
以後、数多くのテレビドラマ、映画などに出演して来ている。
奥さんは純アリス。次男三浦孝太、三男三浦涼介はいずれも俳優。

「東京キッドブラザーズ」
寺山修司とともに「天井桟敷」を起こした劇作家・演出家の東由多加が1968年に結成。
自作のミュージカル約80本を公演。
団員には柴田恭平、純アリス、山村美智子、巻上公一など。
東の死後、2000年に解散。

彼との話で印象的だったものをいくつか。
「東京キッドブラザーズ」で同じ団員だった純アリスと結婚を決意した時に東由多加に強く反対され続け関係が悪化、脱退することになる。
以後、東とは疎遠になるが約10年後に和解。
東の墓には一度も訪れていなかったが今年3月に今回の「冬のライオン」九州公演の際、長崎を訪れた時に偶然にも墓参を果たした。

公演の合間に大浦天主堂を見学に行くが、その時に隣の寺の道を通って行ったと言う。
翌日、公演を東の甥が観に来て久方振りの再会で歓談した際、ふと東の墓の場所を尋ねるとなんと天主堂隣の寺にあると言われる。
すぐさま、コンビニで花を買い初めて東の墓を訪れる。
偶然にも前日に天主堂を訪れた際に通った道の近くに東の墓が存在していたのだ。

この話には若干のオチがあり、花を持って墓を訪れたが帰って来てから東が酒とタバコが好きだったことを思い出し「花じゃダメだ!」と長崎を発つ日の早朝に日本酒とハイライトを持って再び墓を訪れたと言う。

天主堂を訪れた際に通った道も偶然だが、東の甥が公演を観に来たのも偶然でこの重なりによって東の墓の場所を知ることが出来たのだ。
いくつかの偶然が重なればそれは必然となる。
彼が「東に呼ばれた」と思ったのも無理はない。
確かにこうした偶然の重なりは起こることだが、やはり東は彼に会いたかったのだと思う。

もう一つ印象的な話。
「天井桟敷」にはその後の有名人が数多く関わっていたが小椋佳もその一人だったという事実。
このことを僕は誰かと話していた時に聞いたことがあり知ってはいたが彼によるとそれを知っているのは相当詳しい人間だそうだ。
また、「東京キッドブラザーズ」でも小椋佳は多くの楽曲を提供していたと言う。
他に吉田拓郎、宇崎竜童・阿木燿子夫妻が一曲ずつ提供していたそうだ。
後に小椋佳と会った時にその時のギャラを聞いたら「ほとんどなかった」と言っていたそうだ(笑)

その他にも多くのことを話しましたが彼との話はとても楽しいものでした。
また、彼はジプシージャズをかなり気に入ってくれ、古館さんのバイオリンに感動して出来れば彼女たちと一緒に仕事が出来たらと言ってくれました。
これは願ってもないことで新たな繋がりが広がって行く予感がしています。
彼が今回の公演を終えて東京へ帰ったら古館さんと連絡を取り合い、何かを産み出してくれることを期待しています。

不思議な出会いの多い当店クロスロードですが、まさに名前の通り様々な人の交差点になりつつある気がします。
(一部、敬称を略しています)

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by ma.blues | 2010-05-20 16:12 | ある夜のクロスロード | Comments(0)  

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