ある雑誌をめぐる論争まがいの出来事

ある雑誌の存在意味が取り沙汰されているらしい。
「暮らしの手帖」古い歴史を持つこの雑誌はかつてあまたある商品の中から庶民に良品を伝えるため、編集者自らが操作チェックなど行ない、商品の優劣を雑誌で公開したりしていた。
その根幹となっていたのは創設者の花森安治が考える「真の民主主義」であった。
故に、時には過激とも言われた政府批判や反戦、反差別の訴えなども公開されていた。

その「暮らしの手帖」をめぐる論争もどきが起こっているそうなのだ。
▼ぼくらは「暮しの手帖」に「たたかえ」とはいわない
個人的には「暮らしの手帖」はすでにずいぶん前から様変わりしていると思っていたので改めてあれこれ多くを言う気にはならない。

雑誌は自らのスタンスを明確に読者へ伝える必要性があるわけだから、以前ブログに書いた「通販生活」のあのCM(カテゴリ「原子力関連」)はそれをきちんとやろうとした結果だろう。
「暮らしの手帖」編集長(文筆家で書籍商)の言葉は雑誌の存続だけを考えている発想にしか聞こえない。(上記のブログに載っていた通りであるならば)
それはつまり「暮らしの手帖」というかつての勇敢な雑誌はすでに消えたということに等しい。

たとえ言葉だけであろうとも言い続ける必要がある場合もある。
雑誌というメディアを制作している人間たちは少なからず人々に何らかの影響力を持っている。
その自覚の中で編集長がそうしたスタンスを取るのであれば、それはそれで何らかの影響は当然出てくるだろう。

彼らのことの顛末など僕には興味もないが、震災以降の現実の中で各所でこうした分岐点が出てくるだろうことは感じていた。
その一つの例に過ぎない。

放射線に対する無知によって瓦礫の受け入れを拒否しようとする人々にしてもしかり。
自分たちの土地も汚染されていることすら気づきもせず、他所を故なく差別する構造は日本に連綿と続いているものだ。(むろん、政府の無能さと意図的な事実隠しがそれを助長しているのも事実だが)
その差別によって作られた原発(を始めとする核施設)が新たな差別構造を産み出している。
この根本的な差別構造を突き崩さない限り、日本の社会が変化することはないだろう。
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by ma.blues | 2011-12-18 00:00 | 東日本大震災 | Comments(0)  

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