沿岸の山田町へ行ってきました

20日(月)に津波被害を受けた沿岸の山田町※へ行ってきました。

店のお客さんのSさん(精神科医)は山田町出身で大震災の際にお母さんを亡くしました。
彼はその後、山田町の復興に携わろうと盛岡市と山田町を行き来しています。
そして、民間のプロジェクトを立ち上げ、音楽も復興の起爆剤の一つにしようと活動しています。
彼の依頼を受け、当日行なわれる沖縄三線ライブの前座として二人のプレイヤーとともに行ってきました。

沖縄からはSさんの友人でもある精神科医療機関のグループ(「おでんそーれ」※のメンバー)が大挙8名も来ていました。
彼らは「カンカラ三線」を子供たちにプレゼントするとともに、三線のレクチャーも行ないました。
そして、仮設住宅の一角にある談話室(プレハブ一戸)でのライブも行なったわけです。

復興支援ネット「オデンセ山田」
おでんそーれ〜カンカラ三線届けたい〜

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南小学校グラウンド前に立ち並ぶ仮設住宅。
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沖縄から来たグループのライブ。

オーディエンスは三歳の男の子から80代のおばあちゃんまで。
最後はエイサーでみんなの輪踊り。
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子供たちの笑顔が印象的でした。

僕たちは彼らの前に演奏したのですが、一緒に行った三浦輝夫さん(今月26日にライブをします)は子供向けの歌から演歌まで幅広いレパートリーを持っていますので会場でのウケはかなりよかったです。

夜は港近くに建てられた仮設の飲み屋街へ。
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たくさんの店が入っているというわけではありませんが、スナックや居酒屋、カラオケ喫茶など様々な種類のお店が入っていました。
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沖縄のグループ。
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南小学校の先生たちです。
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沖縄のグループとお店(屋号は確か「ささき」さん)のご主人と女将さん。
早採りわかめ(間引きわかめ)とマツ藻のしゃぶしゃぶが旨かったぁ〜。
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お店でも沖縄三線の音色が響き、とても楽しい雰囲気で交流が出来ました。
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真ん中の女先生が校長先生ですって。

いろいろな方々とお会いし交流出来たことはとても大きな財産になりました。
Sさんは今後も同様の活動を続けていきます。
そして、やがては山田町の子供たちが作った歌を全国発信していきたいと言っています。
僕たちが少しでもその手助けを出来れば嬉しいです。


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瓦礫は片付き、湾にも牡蠣棚が増えてきていました。
透き通った綺麗な海は何事もなかったかのように穏やかでした。
しかし、復興の槌音はまだまだ聞こえてきません。
津波時に火災で焼け落ちてしまった陸中山田駅は跡形もありませんでした。

※山田町について
岩手県下閉伊郡山田町。宮古市の南方に位置し牡蠣の養殖が盛んで「山田の牡蠣」として全国に知れている。
「岩手県山田町ホームページ」
「岩手県 山田町 Googleマップ」
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by ma.blues | 2012-02-23 23:45 | 東日本大震災 | Comments(0)  

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