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日本の良心、逝く・・・・・映画監督新藤兼人死去

映画監督、新藤兼人が亡くなった。
戦後、一貫して反戦を貫き、遺作となった「一枚のハガキ」も自身の戦争体験を題材としたものだった。
「いかなる戦争にも反対する」
それが彼の信念だった。
また、反核も強く訴えて来た。
「原爆の子」は戦後間もなく製作が始められたため、被爆者には非難する人間が多かった。
後に結婚する音羽信子とともに一戸一戸訪ねて回り理解を得て製作され、結果、各国の映画祭でグランプリや名誉賞を受賞した。
他にも、アメリカの水爆実験が行われたビキニ環礁で被爆した日本漁船を扱った「第五福竜丸」などがある。

そして、北海道の番外地に生まれ劣悪な環境で育った永山則夫が起こした「連続ピストル射殺事件」を扱った「裸の19歳」や家庭内暴力を扱った「「絞殺」など人間の根源に迫る作品も多い。

さらに「裸の島」では制作費550万円、キャスト2名スタッフ11名で瀬戸内でのオールロケ、製作期間わずか1ヶ月という、それまででは考えられない方法で作り上げた。
これは大会社の資本を頼りにしなくても映画を制作出来る可能性を示したもので、会社の制限を離れての自由な映画製作を証明したものだった。
脚本家としても大変有能な人物で川島雄三、鈴木清順、神山征二郎らに提供した脚本は特に評価が高い。

先般亡くなった林光の葬儀には周囲が押し止めるのを振り切って参列し、
「ぼくは引退宣言したけど、それを撤回してもう一本作ろうと思っていたのだが・・・
音楽をやる人がいなくなったのは困ったなぁ。光くん、まだ若いのになぁ・・・」
そう話していたという。

「もう一本撮ろう」と思ったきっかけはおそらく昨年の大震災、そして福島第一原発事故であろう。
彼があの震災をどう捉えたのか、また原発事故に対してどのような視点から思考したか。
それらを知ることはもう出来ない。
一人の表現者として、決して妥協することなく映画製作を続けて来た新藤兼人。
彼の遺志を継ぐなどとはとても言える人間ではないが少しでも近づいて行きたい。

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by ma.blues | 2012-05-31 18:05 | その他  

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