初のミニシンポジウム・・・・・結果は?

17日(日)は初の試みであるミニシンポジウムを行ないました。
テーマは「震災後、表現者はどう行動するか?」
茫漠としたテーマであり、容易に結論が出るものではありません。
しかし、自らの点検作業としての討論・議論は有意義ではないのか?といった思いから企画しました。

話し手として鎌田大介くんとONNYKの二人に頼みました。
「何々について話して欲しい」といった依頼ではなく二人とも自由に自分の考えていること、思っていることなどを話してもらうことにしていました。

蓋を開けてみると、想像以上に話が多岐に渡り、収拾付かないなぁ・・・・・と思える状況。
まぁ、当初に考えていたことではあるので無理にどこかへ着陸させることはせず流れに任せていました。

特徴的に出て来た話題は「大きな災害や戦争後などに終末感(願望)が生まれる」ということです。
かつての関東大震災後や敗戦直後に顕著に見られた文学者の中の終末願望。
単純に「虚無思想」とは言えないそうした終末感(あるいは終末史観)がどこに根ざしたものであるのか?
時の「インテリ層」からそれらが登場して来たことは偶然ではなく必然なのか?
庶民(大衆)の中にはそうした終末感はなかったのか?
様々な疑問点が浮かび上がって来ますが、残念ながら突き詰めるところまでは行きませんでした。

個人的に感じていたことを少し述べると、関東大震災などで復旧・復興に費やされた年月は相当なもので、例えば1995年の「阪神淡路大震災」の時とは比べ物にならない。
「阪神」以後に文学者などの中に終末感が生まれたかと言えば、そのような兆候は見られなかった。
つまり、ある程度のスパンが存在するところから終末感は生まれて来たのではないのか?ということ。
今回の震災の復旧・復興は相当な年月がかかると想像される。
では、この後の流れの中に終末感が生まれてくるのか?

このことについて、一つ気になっていることを記しておく。
震災後、首都圏の鉄道で人身事故が多発している。
ほぼ毎日のように、どこかの線で人身事故が起こっている。
それらがすべて「自殺願望」によるものとは思わないが、相当数がそれであろうことは想像出来る。
つまり、文学者などから発せられる終末感がなくても庶民の中にはそれが生まれている可能性があるということだ。

戦後においては復興への意欲が強く死へと向かうベクトルは短かった。
関東大震災においても再建する方向へのベクトルが長かった。
しかし、成熟した資本主義(飽和的状態の)社会の中で起こった今回の震災は、精神的弱者に負へのベクトルを長くしてしまう作用があったのかもしれない。
ギリギリの精神状態で生活していた者の背中を押してしまった可能性がある。
被災地においても同様で多くは報道されていないが、自殺者は時間が経つほど増えている。

将来に対する漠然とした不安を抱えて生活して来ている多くの人間にとって、あの震災は「すべての努力は無駄」と思わせてしまうほど強力な出来事だったと考えられる。
ハルマゲドン(カルト的な)を望む終末願望ではなく、具体的生活の中における無気力感は多くの人間が感じたであろう。
いまだ、その影響でしっかりとした足取りを保てない人が多くいる。
「夢」「希望」といった言葉がむなしく聞こえる。
「絆」という言葉のなんと薄っぺらなことか・・・・・
原発事故に伴う電力料金の値上げや消費税増税は社会全体の沈滞ムードを増幅させるだけだ。

「終末感」に関する記述が長くなってしまった。
むろん、その他にも被災地にいち早く駆けつけて来たミュージシャンや著名人の行動などについても話し合われた。
自分たちですべての行動を処理するのであれば問題はなかろうが、被災地の人間に世話をさせるような(準備させるような)構造は支援とは言えないだろう。
(もちろん、お互いが望む場合は別であるが)
売名行為(偽善)であっても、その人間が私財を賭して行なうのであれば文句も出まい。
あとは、どう継続して行くか、だけである。

レポートが中途半端で申し訳ありません。
「表現者としてどう行動するか?」について具体的な方法論は出ませんでしたが、それぞれの中で自己点検することでその欠片でも感じてもらえたら、と思っています。
まだまだ論議すべき問題は多岐に渡ってあると思います。
今後もこうしたミニシンポを継続して行くつもりですので、是非ご参加下さい。
演劇、映像、絵画などに携わっている方のご参加を熱望しております。

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by ma.blues | 2012-06-21 00:18 | ライブ報告 | Comments(0)  

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