ミニシンポ第二回・・・問題点の検証が必要

21日(日)、ミニシンポジュウム「震災後、表現者はどう行動するか?」の第二回を行なった。
話し手としてお呼びしたのは木村直弘(美学研究者)さん。
冒頭、木村さんからこのシンポのあり方に付いて厳しい指摘があった。
一つにはブログやチラシに掲載しているシンポの呼びかけ文が人を集めようというものとは思えない。
これでは人は集まらないだろうという指摘。
また、チャージを取るという形はあくまで商売としてのものであって、こうしたシンポには馴染まないといった指摘があった。

どちらに付いても、おおいに反省しなければならないものであり、今後のやり方を考え直さなければならないだろう。

指摘されたように人数は集まらず、言わば「内輪の会議」的な状態になってしまった。
しかし、彼はきちんとレジュメを用意して来てくれていて、それをもとにいろいろと話をしてくれた。
話は多岐に渡っていたが、その中でもきわめて重要と思われる点をいくつか上げておきたい。

1.様々な表現者が震災後に沿岸を訪れているが、それらのすべてとは言わないまでも多くの場合「マスターベーション化」しているということ。
つまり、「被災者のために」というお題目は表現者が自分のパフォーマンスとして使っているだけではないか、という指摘だった。
2.現在は「災間」(災害と災害の間)であることを認識すべきではないか。
彼は盛岡へ来る前に神戸で阪神淡路大震災を体験している。そして、盛岡で昨年の大震災を経験した。
彼は阪神の地震から東日本大震災の間、つねに「災間」であることを意識して来たと言う。
大きな災害が起こって終わるのではなく、次の災害までの間の期間であるという意識を持つ必要があるという指摘だった。
3.したがって、災害の記憶を次に伝えて行く作業をしなければならないし、被災者のことを決して忘れないようにしなければならない。
4.これらのことから、表現者は自らの行動がマスターベーションであることを自覚し、災間であることを意識し、忘れ去ってはならないことをどう伝えて行くか考えるべきであろう。

かなり、大雑把なまとめ方で申し訳ないが、大筋このようなことだと理解した。
沿岸へ多くの表現者が来ることで起こったトラブルなどの話も聞いて来ていた。
そうした問題がなぜ起こるのか? その検証を進めて行く必要もあるということだと思う。

個人的にはいわゆるボランティア的に沿岸へ演奏の手伝いで行ったこともあるが、自分の行為に疑問を持つことがあった。
何が原因でそう感じるのか分からずに今まで来ている。
後ろめたい気持ちとは違う何らかの違和感が自分の中に生まれていたのは事実で、常に考え直しをしなければ、と思って来ていた。
彼の指摘を含め語られた内容はその答えのきっかけを与えてくれている気がしている。

今後もこのミニシンポは継続して行くつもりなので多くの方に参加していただきたいと思っている。
会場を変えることも含めて今後のことは考えて行きたい。

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by ma.blues | 2012-10-24 21:23 | ライブ報告 | Comments(0)  

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