あれから五年・・・東日本大震災後、何が変わったのか?

もう五年も経ってしまった。というのが実感です。
「節目」とよく言われます。
そうなのかもしれない・・・・何かを書かなければ・・・・・
そう考えつつ今日まで過ぎてしまいました。

五年経って何が変わったのだろう・・・・・
一時期の重苦しい雰囲気と自粛モードはここ盛岡でもとっくになくなっています。
悪いことじゃありません。
ただ、それと同時に沿岸のことが少しずつ忘れられて来ていることも事実です。
沿岸出身者ではなくましてや県外出身の自分がこんなことを書くのもおかしいかもしれませんが、ほんの二時間も行けばあれから大して変わりもしない光景があるのに、仮設住宅から出るに出られない人々が住んでいるのに・・・と考えてしまいます。

むろん、毎日そんなことを考えているわけではありません。
しかし、新聞記事などを見る度にこの復興って何かおかしいんじゃないか?と思ってしまいます。

一つだけ例を挙げておきます。
津波で流されてしまった釜石の通称「呑ん兵衛横町」は、現在駅前近くの仮設店舗で営業をしているところが多いです。
行政はその横町を再建するために以前あった場所の目と鼻の先に用地を確保しわずか50センチほどの盛り土をして店舗を建設しようとしています。
流された場所のすぐそばというのも問題だと思いますが、もっと問題なのはその賃料です。
家賃は4坪で3万円、共益費が1万3千円、つまり坪単価で1万円以上になる計算です。

盛岡市の繁華街ではだいたいそのくらいの賃料を取る場所も多いですが、それと同じくらいの金額になるわけです。
単純に人口比率で考えてそんな高い賃料を取るものなのか?
それに、内部はスケルトン(設備なし)ですからすべて自分で用意しなければならない。
さらに、出て行く時には自費ですべてを取り外して元通りにしなければならない。
これでは高齢の方も多い呑ん兵衛横町の経営者たちが二の足を踏むのは当たり前だと思います。

仮設とは言え、再現された「呑ん兵衛横町」は県外からの来訪者たちには評判がいいです。
それは出来るだけ低い金額設定で出来るだけ新鮮な食べ物を提供しようとする経営者たちの努力によるものです。
今の仮設店舗でもギリギリの生活をしている人たちが多い中で、この新たな「横町計画」が功を奏するのでしょうか?

これに類した話は沿岸のあちこちで聞きます。
海がまったく見えないほどの高さに設置された防潮堤についても地元では否定する人たちが多いです。
本当に地元の人たちと膝詰めて話をしているのか疑問に思うのです。

復興はまだとんでもなく先の話に感じます。
四年後に控えた「東京オリンピック」に資材も人足もとられ、工事が停まっている場所が多々あります。
オリンピックが終わるまでにあと五年、つまり震災から十年経ってひょっとしたらやっと本格化されるのではないか?とうがって考えてしまいます。

誰が描いた復興計画なのか知りませんが、沿岸の受難はまだまだ続いて行きます。
多くの方がこのことをよく知って考えて欲しいと思います。
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by ma.blues | 2016-03-16 00:42 | 東日本大震災 | Comments(0)  

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