横光克彦環境副大臣が、水俣病の申請期限が過ぎたら患者の掘り起こしは謹んで欲しい、と語ったそうだ。
理由としてあげているのは
「いつまでも掘り起こしが続くと、(地域振興などに力を注げず)ほかの団体に迷惑がかかる」ということらしい。
だが、その後の記者会見では「申請を目的にした掘り起こしを続けても、窓口がなくなった後では意味がないという趣旨」と釈明している。
水俣病、期限後の掘り起こしは迷惑…環境副大臣(読売新聞)
環境省(国)の本音が思い切りほとばしり出た感がある。
患者と真剣に向き合い、対応をどうしていくかといったことなどさらさら考えていない。
今、一番危惧していることは今回の福島第一原発事故によって被曝した人たちが、のちにその因果関係を巡って国から援助や補償を求められなくなるのではないか?ということだ。
広島・長崎に投下された原爆によって被爆した人々の認可でさえ何十年もかかっている。
最後の集団訴訟がつい最近認められたが、ほとんどの提訴者はすでに亡くなっている。
これと同じ状況が今後生まれる可能性を否定出来ない。
水俣病の発生は1956年にさかのぼる。
「食物連鎖による人類史上初の病気」とされ「公害の原点」とも言われている。
60年近く経った現在でさえ、患者の掘り起こし作業をしなければならないほど広範囲に被害を及ぼした公害なのである。
当時は「奇病」「伝染病」と揶揄され差別を受けるために、水俣病にかかったことさえ隠していた人たちがいたことも、今なお掘り起こしをしなくてはならない理由の一つだ。
福島の原発事故による被曝は「一種の公害」である。
明らかに人災であり、発生させた企業はその責任を問われなければならない。
また、原子力開発を推進してきた国の姿勢もその責任を問われなければならない。
被曝後数年で発病するか数十年かかるか、それは結果として出なければ分からない。
その時に、原発事故によるものであると認定されるかどうかが今の状態では危惧されるのだ。
今回の環境省(国)の態度に見られるような「政治判断」がその認定を妨げることは容易に想像出来る。
一つの公害問題は個別のものではなく、このようにその他の問題へ結びついていく。
「水俣病不知火患者会」などを孤立させてはならない。
そして、福島原発事故で被曝した人々を守り保護する方策を早急に考えなくてはならないだろう。
あらぬ「風評被害」(食物や瓦礫に限らず人間に対しても!)によって差別されている実情を考えればこれは緊急を要する問題なのだ。