マスメディアの良心とは?

京都府亀岡市で実に悲惨な事故が起こされた。
無免許運転の18歳の少年が通学途中の児童の列に突入し児童一名と保護者一名の命を奪った。
保護者は妊娠中だったがお腹の子は死亡が確認されている。
現在も重体の児童たちがいる。

この救急に当たった「但馬救命救急センター」のブログでマスコミへの憤りが発せられていた。
短いので全文を紹介する。

4月23日 マスコミの人間に心はあるのか
本日,京都府亀岡市で悲しい事故が起こりました.当ドクターヘリも出動し対応しています.検証されるべき事項は沢山ありますが,1つの命をすくい上げようと誰しもが全力をしくしました.結果,望まない終末になることもあります.その後のご家族の心のケアには人として,医療者として十分な対応を心掛けております.当然,院内や病院敷地内に勝手に入り込み,勝手に取材,写真をとるマスコミには取材の許可を出しませんし,取材拒否の旨をきちんと伝えております.もちろん必要があれば病院から情報を伝えます.

しかしながら,マスコミ各社の記者たちは霊安室の前にカメラをかまえ,お帰りになるご家族の映像を勝手に撮影していました.再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていたにもかかわらず,一番大切にしたい瞬間に,ズカズカと土足で割り込んできました.

ご家族,医療者,関係者の心情を考えられないくらいマスコミの人間の心は腐っているのでしょうか.このブログが多くの方に読まれていることは十分に存じ上げております.だからこそ敢えてここで述べます.

※追記:霊安室だけではなく,処置室前,敷地内含めての記載内容です(一部,誤解ととられる内容,真意が伝わらない部分は訂正・修正しております).皆様の反響をいただき,本件に関するコメントは終了させていただきます.このような事故が二度と起こらないこと,行き過ぎた報道が二度と起こらないことを切に願っております.

TECCMC's BLOG(但馬救命救急センターのブログ)

追記にあるように、文章は一部割愛されている。当初は新聞社名が名指しだったし、もっと強い口調の抗議と取れる内容だった。

彼らをここまで怒らせるマスメディアとはいったい何なのか?
「真実の追究」「公正中立な報道」・・・おそらく入社時にはこうした理念をさんざん聞かされたことだろう。
しかし、現実は・・・・・

ずいぶん昔には「トップ屋」と呼ばれる記者たちがおり、スクープ合戦に明け暮れていた時期があった。
その時にも傍若無人な彼らの取材行動が批判されていた。
しかし、その当時のスクープとは主に政治に絡むものが多かった。
社会部の記者よりは政治部の記者が政治スキャンダルを見つけ出すのに右往左往していたのだ。
やがて、その方式は社会部へも波及し、一つの事件の「裏側の取材」という名目で被害者や被疑者の家族・親族などへの取材が急速に増加していった。

政治的な問題や芸能人などの取材に関しては、ある種の「有名税」とも取れるものもあるため許容範囲は広くなるだろう。
しかし、事件の被害者や被疑者の家族への取材がその事件の真実に本当に結びつくのか?
ましてや、今回のように一方的に被害を受けて悲しみに暮れる家族を取材することで事件の何を報道しようとしているのか?

取材拒否をされている建物や敷地に無断で立ち入ることは明らかに犯罪である。
プレスカードや腕章があってもそれは許される行為ではない。
一つの犯罪の取材で自らが犯罪を犯す(それに近い行為をする)ことは本末転倒である。
救命救急センターの職員が憤るように彼らの心は腐っているのだろう。

こうしたことがある一方で、国会がらみの取材はほとんど政府から発せられるコメントしか載せない。
かつてのように、どこまでも食い下がって本音を引き出そうとする記者は一人もいない。
イヤ、最近はそうした記者がパージされている傾向も見受けられる。
嫌がられると通常の取材さえもままならなくなる、という発想がどこかに存在しているのだ。

これはフリーの記者に対してもっと辛辣なものとなる。
自由報道協会などのフリー記者たちが記者会見で発言しようとすると大手新聞社の記者から「おまえたちのために記者会見を開いているんじゃねえんだよ!」といった罵声を浴びせられることが日常茶飯事なのだ。
自分たちのテリトリーに紛れ込んできた「よそ者」を排除する封建時代的感覚の持ち主がそこかしこにいるということになる。

地方になれば、取材対象者が友人、知人などということも多い。
なぁなぁの関係で記事を作り上げることがこれまた日常茶飯事に行なわれる。
この感覚はどんな相手に対してもその馴れ馴れしさを増長させていくことになる。
中央から派遣された(転勤してきた)人間にとってはおそらく理解しがたい感覚だろう。
まぁ、それでよい(彼にとって)ニュースソースを掴めていればその感覚をよくないとは感じないだろうが。

話は広がったが、詰まるところ「マスメディアに良心はあるのか?という疑問符が残るということだ。

昨年の大震災時におけるニュースを見ていてもそれを感じていた。
悲しんでいる人間を延々と写し続けることで何を訴えたいのか?
答えがあらかじめ予想出来る(それも極めて狭い範囲で)質問を繰り返すインタビューアー。
嫌がって避けている人間の後ろ姿まで写し続ける。
それで何を表現しているというのだ!

ジャーナリストとして表現者として自身の行動の問い直しを常にしなければマスメディアの存在自体が悪となっていく日が近いだろう。
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by ma.blues | 2012-04-24 19:21 | ぶつぶつ | Comments(0)  

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