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藤圭子が死んだ

若い世代には「宇多田ヒカルの母」として知られているだろうが、まさに昭和を代表する歌手の一人であった藤圭子が死んだ。
しかも、どうやら飛び降り自殺のようだ。
1969年「新宿の女」でデビュー、'70年「圭子の夢は夜ひらく」でレコード大賞大衆賞受賞、紅白初出場。
その後も数々のヒット曲を出して来たが'79年に引退。
宇多田ヒカルがデビューしてからはご承知の通り。

同世代の人間としてはジャンルを越えて彼女の歌は愛唱歌としてあった。
自分たちがこれからどこへ向かっていこうとしているのか、その思いを彼女の歌になぞらえていたところがあった。
確固とした目標は見つけられないが、何らかの形で自分たちの方向を見出そうとしていた。
それが彼女の歌とシンクロしていたと言えるだろう。

「赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ、この私
夢は夜ひらく」
「前を見るよな がらじゃない
うしろ向くよな がらじゃない
よそみしてたら 泣きをみた
夢は夜ひらく」

彼女が岩手県出身であることはあまり知られていないのかもしれない。
生まれは岩手県一関市、その後北海道旭川へ移住。
父親は浪曲歌手、母親は三味線瞽女(ごぜ)であったため、父母の門付(かどづけ)に同行し旅回り生活の後、17歳でレコードデビュー。
その比類のない歌のうまさとリズム感は宇多田ヒカルに受け継がれた。

彼女がロック好きであったこともあまり知られていないかもしれない。
歌謡曲(主に演歌)と呼ばれるジャンルでの歌手であったが、当時から英語を勉強していたというし、そのリズム感はずば抜けていた。
宇多田ヒカルの成功をもっとも信じていたのはむろん彼女だっただろうし、事実ヒカルの才能を所かまわず力説していた。

時代は過ぎ去っていくものであるが、こういう形でその終焉を見ざるを得ないのはなんともやるせない・・・・・

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by ma.blues | 2013-08-22 18:30 | 社会全般  

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