2013年 08月 07日 ( 1 )

 

原爆投下の日

6日は広島に原爆が投下された日だ。
毎年、もちろん慰霊の式典はなされているが被曝体験者の年齢が上がっていて体験の語り部が少なくなって来た。
そして、原爆資料館に設置されている「被曝人形」たちが撤去されそうだと聞く。
なんでも、子供たちが「気持ち悪がる」ので、というのが理由らしいのだが・・・
体験者は一様に「現実はあんなものじゃない。もっと酷かった」と言う。

「臭いものに蓋」という言葉があるがこれもその一つであろう。
「怖いものには蓋」

ちょっと話は違うが体罰がよくないと言われ教師は生徒を殴らなくなった。
だが、親でさえも子供を殴らない親が多いという。
殴られた経験がない人間は殴られた痛みを知らない。
そんな人間が暴力を振るった時、加減を知らないからどこまでも殴り倒してしまう。
相手の痛みを理解出来ないからとことんまでやってしまう。
犬や猫などを虐めて殺してしまうこともその延長線上にある。
そして、彼らが集団化すると簡単に人を殺してしまう。

資料館の被曝人形を撤去することで果たして被曝のあの悲惨な現実を伝えることが出来るのか?
焼けただれてケロイド状になった皮膚、髪は抜け落ち服はぼろぼろに焼け、力なくたたずむ人々の姿。
その現実を目の当たりにして来たが、つい最近まで被爆者であることをひた隠しにして来た人がいる。
張本勳、元プロ野球選手(現野球解説者)
広島県出身で爆心地から2キロちょっとのところで被曝した。
自慢の姉を被曝によって亡くしている。
彼はなぜ、被爆者であることを隠し続けて来たのか?
それは幼い頃の体験による。

「あの家に行くとうつるから」
そんな言葉を投げつけられ謂われなき差別を受けて来た。
「出来ることなら知られたくなかった」
その彼がなぜ今になって、被爆者であることを告白したのか。
被爆者の平均年齢が78.8歳と高齢になり語り部がすくなって来たことが大きな原因だった。
「語り継いで行かなければならない」
それを自分の責務だと感じて彼は告白したと言う。
そして、プロ野球界も動き出し、昨夜行なわれたマツダドームでの試合では被爆者を慰霊するイベントが行われた。
被曝二世の吉川晃司も「何かの役に立てれば」と登場した。

原爆資料館から被曝人形を撤去することはこうした動きと反比例しているのではないか?
「怖い」「気持ち悪い」
それが現実なのだということを子供たちにきちんと伝えて行くことこそが必要なのであり、その現実から目を背けるべきではないだろう。
自身も1970年代初頭に初めて資料館を見学した時、その凄まじさにたじろいだ記憶がある。
おそらく大の大人でも初めて観るとたじろぐだろう。
それほどリアルであり、一種独特の雰囲気がそこにはあった。
写真や溶けた瓦などでも原爆の凄まじさは想像出来るが、人間がどのようになっていったのかはあの被曝人形によって「体験」することが出来る。
そうした作業は必要なものだ。

その翌年、僕は仲間たちとともに東京から広島まで「反戦キャラバン」を電車乗り継ぎという形で行なった。
東海道、山陽道すべての駅に降り立ったわけではないが、主だった駅で下車し駅に近い繁華街で「反戦・反核」を訴えて来た。
名古屋では立ち寄った人が広島で被爆した瓦を持参して来て「これを広島に届けて欲しい」と渡された。
当時、広島にいて「被曝した記念」に瓦を持って暮らして来たそうだ。
その瓦は僕たちの行動の中でも「活躍」し無事に資料館へ届けられた。
広島では被爆者であり詩人の栗原貞子さん(くりはら さだこ、1913年3月4日 - 2005年3月6日)からいろいろと当時の話を聞き、集まった人たちと討論をした。

個人的にはこの経験が反核・反原発の基礎となっている。
化学系の大学にいたこともあり放射性物質に関して若干は詳しかったので、その影響の恐ろしさを廻りに伝えて行く作業をその後も続けて来ていた。
だが、問題の本質は原爆にせよ原発にせよ、時の施政者が「なぜ必要としたか」なのである。
そのことに気付いて以来、既得権益にしがみつく輩の存在を憎むようになった。
彼らが潤うことで多くの人々が亡くなり病に苦しむことになる現実を変えて行かなければならないと考えていくわけだ。

張本勳が受けた差別と同様の差別を今、福島県の人たちが現実に受けている。
「福島県の人と結婚するな」「街に入って来ないでくれ」
謂われなき差別は今でも厳然と存在している。
広島、長崎の被曝からすでに60年以上も経っているというのに、この国は被曝の実際というものを国民にきちんと伝えて来なかった。
だからこそ、まるで疫病のように被曝を考える人たちがいまだに数多くいるのだ。

同時に、放射線の影響をなるべく軽く扱うことも罪悪である。
放射線は区別をしてくれない。
おしなべて平等に多くの人たちを蝕んで行く。
その現実をこの国は原爆被爆という体験で思い知っているはずなのに、原発事故の被害を出来るだけ軽く見積もろうと努力している。
それは既得権益を守ろうとする一部の人間たちによって操作されていることなのだ。
むろん、マスメディアもその一端を担っている。

原発は「夢のエネルギー」でも「クリーンなエネルギー」でもなんでもない。
原爆同様、いったん重大事故が起これば周辺に多大な被害を与え、その後何十年もそれは消えない。
今一度、広島・長崎の被爆の問題をきちんと捉え返して欲しいと思う。
そして、広島・長崎の悲劇を、福島の悲劇を二度と繰り返さないことを強く求めていって欲しい。

※店へのアクセス、ライブスケジュールなどは右メニューの「カテゴリ」から、店でのライブ音源は「関連ブログ&HP」からご覧になれます。ライブやパーティの希望は常時受け付けていますので、お気軽にご相談下さい。
[PR]

by ma.blues | 2013-08-07 01:05 | 原子力関連 | Comments(0)